6月30日、僕は無職になった

1995年6月30日、そう、30年前の今日、僕は無職になりました。もう30年も経つんだなぁ。感慨深い。

最近では退職代行なる仕事も出てきて世の中は大きく変わった感じがしますね。今なら新卒1社目を3ヶ月で辞めた、なんて話をしても「まあ、そういうこともあるよね」と受け入れられる時代になってきたたのではないかな、と思います。でも、あの当時は殆どいなかったんじゃないかなぁ。どうなんでしょう。まだ終身雇用時代だし、中途採用って経験者募集だった感じがするので、3ヶ月で経験と言えるような経験のなかった自分は転職も大変だった記憶はあります。

今までこの話にたまに言及することはあっても、こんな風に深く振り返ったことはなかったので、30年という節目に少しだけ、あの頃の自分を振り返ってみたいと思います。

就職できなくて留年、そしてなんとか掴んだ内定

話は90年代に遡ります。僕の社会人人生のスタートは、大きなつまずきから始まりました。つまずき過ぎてスタートを切れなかったくらいですからねw

1995年。世はまさに就職氷河期真っ只中。僕もその波に真正面から飲み込まれた一人でした。1年目の就職活動ではどこからも内定をもらえず、わざと2単位だけ単位を落として留年。2度目の就活に挑んだわけです。でも、状況は良くなるどころか、さらに厳しくなっていましたね。

特に行きたい業界があるわけでもない。音楽で生きていきたい、でも音楽はやっていない、という状態で悶々としていた自分は結局大した準備もできずに2年目の就活を迎えるわけです。

結局、どこにも決まらないまま夏を迎え、もうこれ以上普通の就活は無理だと諦め、地元の千葉にあった自動車の販売会社の営業職に応募し、なんとか内定を頂くことができました。それが僕の新卒1社目となった会社です。

誰にも相談しなかった退職

3ヶ月で辞めた僕ですが、何も最初からクサっていたとかそういうわけではなくて、最初はそれなりに頑張ろう、と張り切っていました。最初1ヶ月同期たちと研修期間があり、その後営業所に配属になり、2ヶ月先輩の営業についてまわりました。そしてその試用期間が終わる6月30日直前に僕は退職届を出したのです。

この大きな決断を僕はほとんど誰にも相談しませんでした。

なぜ辞めたのか、という核心的な部分はこの場で書くような内容ではないのでご容赦ください(いつもこんな感じですみません)。でも、研修期間中からずっと感じていた「ココジャナイ感」。それが日に日に大きくなっていきました。なんか馴染めなかったというかフィットしなかったんですよね。それと書けない理由と合わせて、3ヶ月の試用期間が終わるこのタイミングで辞めてしまおう、と心に決めたのです。

つい先日亡くなった父にも、一応事後報告はしました。津田沼のイトーヨーカドーで待ち合わせて軽く夕食を食べながら伝えたのを覚えています。父は特に何も言いませんでした。驚きもせず、怒りもせず、アドバイスもなく、ただ僕の話を聞いていました。

今でもたまに思うのですが、もしあの時、「せっかく入ったんだから、もう少し頑張ってみたらどうだ」とか、世間一般で言われるようなアドバイスをされていたら、僕は今よりハッピーになれていただろうか。多分、そんな気はしないんですよね。就職も上手くできず、1年も留年して、ようやく入った会社を3ヶ月で辞めるなんていう息子に、僕が親だったら何か小言の一つでも言ってしまうかもしれない(笑)。そう考えると、何も言わずにいてくれた父には本当に感謝しかありません。本当に助けられたな、と思います。こういう話も亡くなる前に伝えたかったな。

ああ、話が変わってしまいそうだ。そして僕は会社に退職の意志を伝えました。本社から人事の責任者の方がやってきました。研修中に大変お世話になった方で優しくて、でもとても厳しい方だったので、どんな展開になるんだろう、怒られるのか、引き止められるのか、がっかりされるのか、と身構えていたのですが、僕の話を静かに聞いた後、何も言わずに帰っていきました。その姿は今でも忘れられない。

1つの心残り

この頃のことを思い出すといまでも少し胸が痛む、心残りなこともあるんですよね。

たった3ヶ月しかいなかった会社ですが、何人か仲良くなった同期がいました。右も左もわからない社会人生活で、お互いに励まし合っていたんですね。まだメールやネットが普及していない時代。携帯電話もまだなくてね。ポケベル時代。連絡手段は家の電話でした。一緒に頑張ろうな、なんて言い合っていた彼らに、僕は何も告げずに、相談もせずに会社を去りました。

これは彼らにとって相当なショックだっただろうな、と正直今でも軽く胸が痛む。なんで一言、連絡しなかったんだろう。きっと、引き止められるのが怖かったんだろうな。自分の決意が揺らいでしまうのが。

実は、そんな彼らのその後がずっと気になっていたんですよね。特に、一番仲の良かった同期は、時々どうしてるかな、と調べたりしたんですが、営業所って割と名前を出すので彼の消息は掴むことが出来ました。幾つかの営業所を転々とした後にとある営業所の所長になり、今では本社で人事の管理職になっているそうです。とても誠実でいいやつだったので、彼が出世しているのを見ると、なんだか自分のことのように嬉しい。勝手なものですねw

また別の同期たちの話。当時、僕と同じようにすぐに辞めていった同期も何人かいて、そのうちの一人からは「プロボクサーになった」と連絡が来ました。実際何試合か応援に行ったりしたんだけど、今はどうしてるかな。別の一人からは、ちょっとよろしくないビジネスにハマってしまったらしく、勧誘の電話がかかってきたこともありました(笑)。人生いろいろですね。

そして、密かに気になっていたもう一人の同期。彼は当時からどこか違うオーラを放っていたのですが、今では(あの有名な会社ではないですが)大手中古車チェーンの社長になっていました。やっぱり、最初から何か違う感じだったんですよね。

30年後の今、思うこと

そんな20代前半の、青くて、無謀だった記憶。もうあれから30年も経つんだなぁ。なんだか不思議な気分。

誰にも相談せずに会社を辞めたことに、後悔はなくて。「次が見つかってから辞めたら?」と言われるのが普通ですよね。でも、僕の性格を考えると、もし一台でも自分の手でお客様に車を売ってしまっていたら、そのお客様への責任を感じて辞められなくなっていたと思うんですよね。だから、まだ誰の担当にもなっていないあのタイミングで、次も決まっていないという大きなリスクを取って辞めたのは、結果的に良かったんだと今でも思えます。

もちろん、そのあとも随分と遠回りばかりの人生でしたけどね。まあ、その話はまたいつか。

さて、無職になったあの日から30年。なんか良いタイミングだし、長い間、心に引っかかっていた彼に、ひさびさに連絡を取ってみようかな、とか考えていたりするんですが、どうでしょうか。会って何を話すんだろう。まずは、あの時何も言わずにいなくなったことを謝るのかな。彼は許してくれるのか、久々に会って喜んでくれるのか、そもそも会ってはくれないかな。どうなるかはわからないけど、ただ、久々に話してみたい。

そんなことを思う、6月30日です。

というわけで、おまけ。その頃の写真を探したんだけど見つからなかったので一番近そうな写真を。大学3年生くらいかな。音楽活動も辞めて自分探ししていた低迷期ですw

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